歳月不待人


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敬老バス旅行

2014年6月 4日 (水)

およねの郷 ① 西和賀町沢内を訪ねる

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およね地蔵にて

  notes  沢内三千石お米の出どこ
  枡ではからないで蓑ではかる

 「およね」さんはその後どうなったのか? ・・・ 記録がないようである。 凶作の際に年貢米減免の代わりに南部藩に差し出された村娘「およね」さんの話である。民話では自ら望んで行ったとあるが、そうではないでしょう。だから沢内甚句で唄われる「お米 」に村娘「およね」さんを重ね合わせる。そして彼女の悲しみに思いやるのである。 

 民話は、およねさんが村を救うために悄然(*)と出かけるところで終わる。一方、西和賀町観光協会の職員さんは、めでたしめでたしでおわる民話もあるんですよと教えてくれた・・・。(民話:その民族が持つ話。民族固有の生活感情を素朴に反映した話←広辞林) 

 ともかく、およね地蔵は、村人たちの反省の想いが高まって建てられたのである。

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* 悄然 : ①憂え悲しむさま。②元気がなく、しおれているさま。しょんぼりとしたさま。    <広辞林>

* 「・・・ およねの地蔵が、いつの頃からか およねの生家である新山の吉右衛門の分家にまつられてきた。それを菩提寺の浄円寺に立派な台座を築いて移すことになった。 晟雄は請われて、およね地蔵建立協賛委員長になっていた・・・」   <村長ありき - 沢内村 深沢晟雄の生涯  及川和男著>

    * soon およねの郷② 「生命の尊重こそ…」 深沢晟雄資料館

 

 

およねの郷② 「生命尊重こそ・・・」 深澤晟雄資料館

Cimg1019 旧沢内村 深澤晟雄(まさお)村長の業績を伝える資料館である。乳幼児死亡ゼロを日本で初めて達成し、全国に先駆けて乳児と老人の医療費無料化を実施している。

 ボランティア活動でガイドを務めておられる方から詳しい解説をしていただいた。また30分ほどのDVD映像は迫力あり、必見である。

 「人間の尊厳、生命尊重こそ政治の基本」の信念の下に行政が展開されていく。「赤ちゃんは村の宝物」。看護師、医師たちの活躍、豪雪に立ち向かう住民たちの姿をよくまとめている。

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 見学者の中には、学校、出身地、職場が重なる人がおり、年譜を追いながらの楽しい学習の場となっていた。資料館には、お茶を頂戴し 1時間ほどおせわになりました。

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  * ドキュメンタリー映画「自分たちで生命を守った村 - 岩手県沢内村」(1970) ㈶家族計画国際協力財団と国際家族計画連盟
  * テレビドキュメンタリー「その時歴史が動いた」(NHK 2007年)
  * 「いのちの作法 - 沢内「生命行政を継ぐ者たち」2008年 小池征人監督
  * 「いのちの山河~日本の青空Ⅱ」2009年 大澤豊監督
  * 演劇「燃える雪」1987年 「カタクリの咲く頃」2011年 劇団銅鑼(どら)

「 深澤晟雄の生涯を含む沢内村の生命行政は、さまざまなジャンルの芸術家たちにインスピレーションを与え続けている。それは、おそらく、沢内村の生命行政が、芸術たちが出会ったそれぞれの時代の課題に対して挑戦する普遍的スタンスを示唆しているからであろう。」

  < 「21世紀への挑戦⑤ 地域・生活・国家」水島司 和田清美 編  日本経済評論社>

*   soon  およねの郷③

*  本 leftright ㈱れんが書房新社 発行      

 

 

およねの郷③ 「碧祥寺博物館」 おもしろ博物館です

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 残雪!! 本堂の前庭に、のっこりとあった。大量に高く積み上げられていたのだろう。この時期に、おどろいたなあ。豪雪地と聞いているけれど・・・

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  碧祥寺博物館「マタギ収蔵庫」は、猟師(またぎ)の資料を広範囲の集落から収集し展示している。用具は手作りで創意工夫したものが多い。 

 熊を射止める手順を教えている。穴から追い出し山頂で待ち伏せる。熊は山頂に向かって逃げる習性があるという。猟師たちは勇敢に狩りを行うが、時には反撃されて犠牲になる、とある。 

 「碧祥寺本堂」には壁画、大正天皇の品、時代物、お宝、そして、こんなものまでも!などなど、実におもしろく鑑賞できた。「雪国生活用具館」でも、ワイワイ話し声が絶えず、見学者たちは解説し合っていましたね。西和賀町沢内にユニークな博物館あり、である。

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* またぎ【猟師】  東北地方の山間に住む猟師(りょうし)のこと。秋田またぎ のような専業猟師のほか、単に狩りをする人もいう。   <国語大辞典 小学館>

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水芭蕉の葉にとまるアマガエル 碧祥寺庭園にて
    

*  soon  およねの郷④

 

 

およねの郷④ 太田八幡宮の神木「大銀杏」

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 まさに神木である。足元にエンレイソウ(延齢草)を育てていらっしゃる。延齢、長寿にあやかりたいと祈願するのかと思いきや、そうではない。見上げれば巨大な乳こぶがある。豊かな母乳を願う女性たちが訪れる神木らしい。

  我々の地元では、乳こぶが出現した銀杏の木にお目にかかることがない。初めて知って歓心する高齢の人あり。旅行のコースに入れてよかった。樹高 30m、幹囲 9m、樹齢 300以上、天然記念物。

   *  soon  およねの郷⑤

 

 

およねの郷⑤ チドメグサ(血止草)

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チドメグサ(血止め草) 碧祥寺庭園にて

 太田八幡宮大銀杏の足元には、チドメグサが広がっている。また 碧祥寺の庭園でも見つけることができる。チドメグサについての詳細な資料を日程表に添付していたから、絶好な観察会になった。薬効、用法についても、皆さんは完全に習得ましたね。  

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  * 南部の諺俗諺  

            血が出た時には チドメグサを揉んでつける (花輪北)

      草を三つ合わせてつければよい (湯本)

   * 南部方言

     ひろぐさ  - - - 遠野・紫波・煙山

       「ひろぐさ」の「ひろ」は蛭(ひる)のことで、蛭に吸わせた痕にこの草をはっていたといいます。

                      <「南部の薬草詞」小田正博著 >    

*  soon  およねの郷①

 

 

2013年10月15日 (火)

史跡「尾去沢鉱山」へ研修旅行

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  鹿角市「史跡 尾去沢鉱山」の坑道入口である。鹿角市は秋田県内で、唯一、盛岡南部藩の領地だった地域で、盛岡とはとても縁が深い。時代をさらにさかのぼると奥州藤原家、そして厨川(盛岡)の阿倍貞任一族が支配していたところでもある。一方、明治の戊辰戦争では、南部藩が秋田藩に侵攻を開始した地の一つ。

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  奈良の大仏を製作する際に、この鉱山から 採掘された黄金が使われたと伝えられている。また、平泉に黄金文化の華を咲かせている。

 ガイドさんが手をかざしている採掘跡は、上下に4百メートルを超える鉱脈跡という。東京タワーの高さをはるかに超える巨大な層が連なっていた迫力、その採掘方法などのお話に驚ろく一行である。

 明治期には、中央政府に没収されて、岩崎家、三菱(合)らが経営している。機械掘りでガンガン採掘し、すさまじい産出量と莫大な収益を上げたようだね。

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  どこまで続く坑道だろう。坑道は800km!あるそうだ。偉大な産業遺産である。坑道の途中には広場が設けてあって、機械の修理などをしていたようである。写真は、南部藩が山神さま(石柱)を招き入れて祭り、安全祈願をしていた広場である。 

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 立札には「地底の神秘 熟成の貯蔵場」と表示している。 会社、個人からワイン、清酒などを預かって寝かせている。坑道の温度は13度に保たれているので、格別に美味しく熟成していくそうである。 

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  江戸時代の作業風景「からめ場」を再現している。金鉱石を砕いて水の底に沈殿した金を採取している光景。後ろで役人が労務管理をしている。民謡「からめ節」は、まさに、この現場から生まれ唄い継がれてきたという。  * 「からめる」とは、掘り出した鉱物を精選する作業のこと。

 

notes「からめ節」

(ハアドッコイ ドッコイ ドッコイナ)
 田舎なれども 南部の国は
  西も東も 金〈かね〉の山(ハァ ドッコイ ドッコイ ドッコイナ)
 からめて からめて からめた黄金は岩手の花だよ
  どんどと吹き出せ(ハァ ドッコイ ドッコイ ドッコイナ)

からす鳴くなく床屋の屋根で
お山繁昌と鳴くからす
(ハァ ドッコイ ドッコイ ドッコイナ)

金〈きん〉のべここに 錦〈にしき〉の手綱
  おらもひきたや 引かせたや
 からめて からめて しっかりからめて
  握った手綱をうっかり離すな

金〈かね〉が出る出る 白銀黄金〈しろがねこがね〉
  鉄も鉛も赤銅〈あかがね〉も

 からめて からめて どっしり掘り出せ
  お国の名物 どんどと掘り出せ

 

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 手作業による作業は過酷な様子だったことがよく分かる。明治期ころから火薬を用い、さらに発電所を作り電化することによって増産。昭和53年、鉱石は枯渇し、そして閉山。1300年の歴史に幕を閉じる。

 岩盤は硬くコンクリートの4倍もあるそうだ。東日本大震災の際、ガイドさんは坑内にいたが、岩盤はビクともしなかったと語っている。地下は地震に強いと聞くが坑内も同様らしい。

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湯瀬温泉 姫の湯にて
「いい湯っこだったなあ~」

敬老会バス旅行の1日でした。参加者は22名。
鉱山では、素晴らしいガイドさんに案内されて、
楽しくたくさん学びましたね。

 

 

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2013年6月 4日 (火)

東日本大震災゛「学ぶ防災」田老町”

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 堅牢な第 1防潮堤です。総延長 1,350メートル、海面からの高さ10.65メートル。 田老町 の中心部を「へ」の字に囲む。世界に類を見ない巨大防潮堤で、万里の長城とたとえられた。

 解説を 宮古観光協会「学ぶ防災」 の職員さんにしていただきました。臨場感あるお話に・・・涙を拭く人あり。防潮堤の上に立つと田老町の全貌がよく見渡せた。

 旅行会参加者33名の中には、宮古で生まれ育ったYさん、転勤族として宮古に住んでいた人たちなど縁のある人が数人いた。Tさんなどは15年間、田老町に住んでいたそうだ。

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 この防潮堤の海寄りには、さらに第 2、第 3の堤防が作られ、 X 字状に住宅などを囲んでいた。

 平成23年 3月.11日、津波の第 1波(3m)は、狭い入り江から白波を立ててやってきた。そして防潮堤を前にして波はうずまいた。・・・そこに第 2波(10m以上)が押し寄せ、第 1波の勢いを吸収して怖ろしい速さで押し寄せてきた。 

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 津波は、第 2、第 3防潮堤を破壊し、軽々と、この巨大な第 1防潮堤をも越えた。水門の残骸は、消滅した防潮堤の位置を教えている。 

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 町では、過去の経験から防潮堤だけでは津波を防ぎきれないと考え、防潮堤は避難するまでの時間かせぎをしてくれるものと想定していた。道路は、どこからでも10~20分で避難場所の高台まで到達できるよう縦横に作り、ソーラーパネルを設置した。避難訓練も十分で町の取り組みはしっかりしていたのだ。 

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  しかし、防潮堤の水門は震災の前から手動に切り替えられていた。また地震による停電で無線警報が機能しなかった! 日本一の堤防に甘えて逃げなかった人あり。また海に向けられるべき住民たちの視界は、巨大な防潮堤が遮っていた。幼稚園の園長先生の優れた判断、中学校用務員の校舎屋上からの指示が多くの人を救った。

 津波は、「たろう観光ホテル」 までわずか 7秒!で到達した。そして 3階までを破壊した。  6階の窓から、同ホテルの社長さんが津波来襲の一部始終をビデオに収めていたが、さすがに建物を襲ったときの衝撃はすさまじかったらしい。

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 飛沫は 6階の窓まで飛んできていた。思わずビデオカメラを放り投げてしまった様子がわかる。迫真の映像を同じ部屋で見入る旅行会の皆さんです。

 一人、九州から自家用車でやって来たという男性が加わっていた。自分は吉村昭さん(作家)のファンなんです、と自己紹介をした。 

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 おわりに、 展望台広場 から海を見下ろし、耐えて変わらぬ姿を魅せる「三王岩」の雄姿を見つけて、皆は感動したのでした。そして犠牲になられた多くの方々へ哀悼と鎮魂のために「般若心経」を読経し散華を致しました。合掌。

 

 

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2013年1月 1日 (火)

復興を祈る

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碁石海岸「穴通磯

 穴通磯(あなとおしいそ)は、東日本大震災の大津波にも負けずに、そのままの力強い姿を魅せています大船渡市の末崎半島、『碁石海岸』を代表する景勝地です。一方、「碁石浜」は地盤沈下して散策できる状態ではなくなっています。碁石を敷き詰めたような妙なる浜の変わり様は、とても残念です。(平成24年10月17日撮影)

Dsc_0553_2  昨年、町内の研修会旅行に参加して、大津波の被災地を訪ねました。6月には宮古、山田、大槌、釜石、そして10月には大船渡、陸前高田を訪ねて犠牲者の慰霊をし、散華して供養してきました。(左は碁石浜にて読経)

 

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「陸前高田市役所」

奇跡の一本松保存へ寄付のため立ち寄りました。
小高い山間に建てられた仮設の庁舎周辺は
道路、駐車場が狭く混雑していました。


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ご支援ありがとうございます
復興に向け市民一丸となりがんばります!
陸前高田市

 

 

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2012年6月 5日 (火)

三陸大津波被災地研修

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 町内の敬老バス研修旅行です。32名が参加。ご夫婦も見うけられました。バスは、盛岡市生きがい事業の敬老バス を利用しました。大津波で犠牲になられた多くの方々の哀悼と鎮魂のため、現地で「般若心経」を読経します。

 盛岡を出発すると、さっそくT夫人から「般若心経(はんにゃしんぎょう)」と「散華(さんげ)」についての解説がありました。思いがけなく車中は仏教についての勉強会になっていました。ありがたい。

 *「般若心経」;仏教の根本思想を説いている。
 
*「散華」;仏教の教えを詠じながら、紙で作った蓮の花びらを散らす。

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 川井村の道の駅「やまびこ館」にて休憩。ここからは、宮古在住歴のあるC氏が、被災状況や地域について解説します。

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 新里村、閉伊川に架かる山田線の鉄橋。 一世を風びした演歌歌手&作曲家「鳥取春陽」は、新里村出身です。村に歌碑がありますが、最近捜せなくなったと聞いています。訪れる人もいなくなったのでしょう。春陽は、 notes「かごの鳥」 という唄を作曲しています。さびしい唄です。こういう歌は、今では流行らなくなりましたね。(* 参考; Weblio辞書

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 宮古に来たなら、“「魚菜市場」見ずして結構というなかれ。” 「スーパーで買っても、ちっとも美味しくない。」「ウニの塩づけがいい。」「ナメタが安いよ。」の声。

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 宮古湾は、とてもおだやか。漁船がたくさん集まって、いつも活気のある岸壁なんだそうですけど、1隻もいない。

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 皆で般若心経を読経した後、海へ 散華をしているところです。宮古市の犠牲者は、死者420人、行方不明107人。

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 どこの被災地でも、瓦礫は集められ分類されて、うず高く積み重ねられています。早く処理してあげたい。今年の夏も、ほこり、悪臭などが舞い込んで大変だろうと思う。

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 山田湾の「かき小屋」に、ちょうど12時に到着。かきは体内に毒を持っている時期なので、残念ながら食べられない。昼食は野菜、車えび、イカ、そして小さなホタテ貝の鉄板焼きになりました。 

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 ハーレーダビットソン、1800㏄を操って来店して来たライダーは、昭和16年生まれ。同年代のご夫人達の称賛を浴びていましたね。定年後、全国を疾風のごとく廻っているそうだ。ちなみにバイクお値段は480万円とか!
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かき小屋の店員達が、総出しての見送りです。また山田におでんせ~

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 山田湾の海に向かい、独り、祈りをささげています。母の愛は海よりも深い。・・・「岸壁の母」です。 山田町の犠牲者は、死者604人、行方不明者153人です。

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 大槌町では、河川の堤、堰、住居、生活、町の全てが破壊されました。死者803人、行方不明者479人が犠牲になりました。役場では職員の多くが亡くなりました。

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帰らぬ家族を待ちわびる大槌町。こいのぼり を目印に帰ってきて!
 

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 釜石駅前広場に設けられた「復興の鐘」です。右手に煙を吐いている工場は、新日鉄製作所。釜石市では死者、888人、行方不明者158人が犠牲になりました。

Dsc_0162_2 左は「駅前橋上市場サンフィシュ釜石」。名前にあるとおり橋上市場(きょうじょういちば)だった。つまり、橋の上に業者が店を構えて営業していた時代があったそうです。橋の架け替えのために、あらたに駅前に集合して店舗を開いたという。


 おわりに、駆け足で宮古、山田、大槌、釜石の被災地を訪ねた旅でした。恵みの海だったのに、海は牙をむいて人々を襲い、命までも奪い去りました。自然は美しくも、時には恐ろしい。自然と共存は永遠のテーマです。
犠牲者への鎮魂は、残された者たちが再起し、復興早く成し遂げられることにあるように思います。 合掌。

* 経路 *  公民館 8:00 ~ 川井村やまびこ館 ~ 宮古市魚菜市場・鍬ヶ崎 ~ 山田町復興かき小屋 ~ 大槌町 ~ 駅前橋上サンフィシュ釜石 ~ 遠野道の駅 ~ 公民館 17:30
 

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