歳月不待人


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フォト

東日本大震災

2015年9月 1日 (火)

[鳥影]浪板海岸

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ウミネコ 
 

  みなさん カモメだ、とおっしゃいます。でも精悍な表情はウミネコなのです。嘴の先が黒と朱色、尾羽が黒いとか、その他にも見分けるポイントがあるようです。
 八戸の蕪島はウミネコのサンクチュアリーというのかな、育児中のところを3度ほどお邪魔している。睨まれていると感じたが、そんな怖い顔が実は普段の顔のようです。

  

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2015年1月31日 (土)

大船渡 点描  平成27.1.30

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 2階部分まで浸水し、丸太などが突き刺さり窓ガラスも すべて割れている大船渡商工会議所の建物。地震当時は税務申告などのため多くの人が訪れていた。(「産業情報いわて」より)

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参考 :   soon  2011.11.30 東海新報 記事「 震災で地盤沈下、冠水対策で・・・」 

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 バス乗り場 「商人橋」周辺、ローソンや薬王堂などの店が集中している。

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 被災した自動車を見ると、大船渡では形を保っているものが多かった。海岸の地形が複雑だから津波の勢いが弱められたんだ。一方、陸前高田の車はぐしゃぐしゃにつぶれてしまって形を留めていない。
 小野田セメントが残ってくれてよかったなあ。(高台から大船渡湾を眺めていた陸前高田のF氏の談)

 参考   soon 建設通信新聞  【復興版ルポ】津波から奇蹟の復活 太平洋セメント大船渡工場 

               soon 震災直後の大船渡市街

 

 

2014年3月19日 (水)

塩屋埼灯台を訪ねる

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 3月16日(日)、9時発の観光バスに乗り込んだ。この日は、朝から重い雪が降り続いていた。 3月の中旬というのに、盛岡はいまだに冬から抜け出せていない。

 福島県に入ると梅、椿の花が咲いていた。また柑橘類の黄色い果実をたくさんに抱いた庭木に目が行った。庭で柑橘類が育つ土地なのだ。そして、すでに春爛漫の世界に突入していた!

 飯坂温泉を宿とし、翌日は塩屋埼灯台下の土産物店で震災、津波の被害状況を学んだ。講師は若い漁師。ここはリアス式海岸ではなく、津波の経験もない。津波は、住民たちには全く予想外のことだった。また、原発から50キロの地点にある。目に見えない放射線の恐怖についても語ってくれた。(いわき市平薄磯海岸地区)

Photo   3.11、大地震の 1時間後に第一波、そして大きな被害は第二波から受けていた。足をさらわれて建物にたたきつけられた人など、150名が命を落とした。250世帯のうち、13世帯(棟?)だけが残ったのである。

 地震は灯台のぶ厚いガラスを落とし、津波は、岬をかけあがって破壊した。震災から 3年目の先月、灯台への道は開通した。塩屋埼は、潮の流れがあるところなので、北海道、青森、岩手からの瓦礫が流れ着いた。

    

  スパリゾートハワイアンズで、ポリネシアンショウを楽しんだ。フラガール達も被災者で、被災状況、全国行脚などが報道されている。舞台は、復興できたようですなあ。笑顔を絶やさず華やかな踊りを魅せてくれた。大変な人気でした。

 3日目、竹駒神社に参拝し、キリンビール仙台工場と武田の笹かまぼこ工場を見学した。どちらも被災した工場だった。ビール(一番搾り)をごちそうになり、笹かまぼこなどの土産品を購入した。

 帰路は雨の北帰行となる。北上市に入ると一面の雪景色。日中の温度は上がっていたのだろう、蒸気と雨に煙りバスの窓からは視界が十分には開けないでいた。再び冬のまっただ中へ、蝦夷の土地に舞い戻った。我々鬼たちの国にも春は遠からじだ。

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  一重のみ 妹が結ばむ 帯をすら 三重結ぶべく 我が身はなりぬ    大伴家持  

 

 

 

2013年6月 5日 (水)

田老の「かりんとう」

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 お土産にしたいので、田老町の「かりんとう」が手に入らないだろうかと、田老町に15年間住んでいたという T 婦人から声がかった。調べたところ、その品を取り扱っている店と製造元は旅行先のコースから外れていた。

 そこで 通信販売 で購入することとした。製造元の田中菓子舗は被災した先で、生産を再開したばかり。人気に生産が追い付かないでいた様子だったが、受注した旨の電話をいただいた。そして急ぎの注文に快く快諾していただいたのは嬉しかった。

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 「かりんとう」は、黒砂糖の味を生かした菓子で棒状の形をしている。むか~し、よく食べた駄菓子と思っていたが、近所のコンビニに陳列してあることからすると、古来、愛され続けてきた優れた菓子なのだろう。 

 田老町の「かりんとう」は、棒状ではなく大判焼きで波の形を模したようだ。人は「ああ、あの固くて歯が立たない団扇のように大きな・・・ でも、香ばしく美味しい。」という。それならば、私も幼いころに食べたことがある。なつかしい。

 ということで、私の分も含めた10袋が届いた。「かりんとう」は大きさと厚みも洗練されて進化?した形をしていた。油で揚げた黒砂糖風味の、かりんとうせんべい、といったところかな。美味い。パリパリという音が、また味を引き立ててくれた。delicious

 

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 * 参考記事⇒ 「田老かりんとう」復活 震災乗り越え二年ぶり

 * 過去ログ⇒ 東日本大震災 「学ぶ防災」 田老

 

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2013年6月 4日 (火)

東日本大震災゛「学ぶ防災」田老町”

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 堅牢な第 1防潮堤です。総延長 1,350メートル、海面からの高さ10.65メートル。 田老町 の中心部を「へ」の字に囲む。世界に類を見ない巨大防潮堤で、万里の長城とたとえられた。

 解説を 宮古観光協会「学ぶ防災」 の職員さんにしていただきました。臨場感あるお話に・・・涙を拭く人あり。防潮堤の上に立つと田老町の全貌がよく見渡せた。

 旅行会参加者33名の中には、宮古で生まれ育ったYさん、転勤族として宮古に住んでいた人たちなど縁のある人が数人いた。Tさんなどは15年間、田老町に住んでいたそうだ。

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 この防潮堤の海寄りには、さらに第 2、第 3の堤防が作られ、 X 字状に住宅などを囲んでいた。

 平成23年 3月.11日、津波の第 1波(3m)は、狭い入り江から白波を立ててやってきた。そして防潮堤を前にして波はうずまいた。・・・そこに第 2波(10m以上)が押し寄せ、第 1波の勢いを吸収して怖ろしい速さで押し寄せてきた。 

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 津波は、第 2、第 3防潮堤を破壊し、軽々と、この巨大な第 1防潮堤をも越えた。水門の残骸は、消滅した防潮堤の位置を教えている。 

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 町では、過去の経験から防潮堤だけでは津波を防ぎきれないと考え、防潮堤は避難するまでの時間かせぎをしてくれるものと想定していた。道路は、どこからでも10~20分で避難場所の高台まで到達できるよう縦横に作り、ソーラーパネルを設置した。避難訓練も十分で町の取り組みはしっかりしていたのだ。 

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  しかし、防潮堤の水門は震災の前から手動に切り替えられていた。また地震による停電で無線警報が機能しなかった! 日本一の堤防に甘えて逃げなかった人あり。また海に向けられるべき住民たちの視界は、巨大な防潮堤が遮っていた。幼稚園の園長先生の優れた判断、中学校用務員の校舎屋上からの指示が多くの人を救った。

 津波は、「たろう観光ホテル」 までわずか 7秒!で到達した。そして 3階までを破壊した。  6階の窓から、同ホテルの社長さんが津波来襲の一部始終をビデオに収めていたが、さすがに建物を襲ったときの衝撃はすさまじかったらしい。

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 飛沫は 6階の窓まで飛んできていた。思わずビデオカメラを放り投げてしまった様子がわかる。迫真の映像を同じ部屋で見入る旅行会の皆さんです。

 一人、九州から自家用車でやって来たという男性が加わっていた。自分は吉村昭さん(作家)のファンなんです、と自己紹介をした。 

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 おわりに、 展望台広場 から海を見下ろし、耐えて変わらぬ姿を魅せる「三王岩」の雄姿を見つけて、皆は感動したのでした。そして犠牲になられた多くの方々へ哀悼と鎮魂のために「般若心経」を読経し散華を致しました。合掌。

 

 

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浄土ヶ浜

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sun 浄土の浜辺は・・・まぶしい

  昨年、再建されたばかりの「 浄土ヶ浜 レストハウス」からの眺めである。なんとも美しい・・・・・・sign03 大津波の黒い汚泥で侵され、汚れてしまった岩肌、砂浜をきれいに洗い流した姿である。磨き上げて現れたのは究極の美とでも言いたい。神々しい新生の浄土の世界で~す。 confident

 

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 「平日でも、こんなにお客さんが多いんじゃあ、土日は大変でしょうね。」 職員に声をかけると、震災前よりも観光客は増えているのだと教えてくれた。「じゃあ、売り上げが増えると給料も上がることになるでしょうから、いいですねぇ~。」というと、一瞬、い~え、そんなことはありえないという思案顔から、急に嬉しそうな表情に変わっていた。

 

 

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2013年1月13日 (日)

陸前高田被災資料デジタル化プロジェクトの活動

Pap_0005_5  博物館の日曜講座「陸前高田被災資料デジタル化プロジェクトの活動について」を受講した。(左は県立博物館の白樺林)

 講演は、映像部門を天野さん、デジタルの部門を渡部さんが担当されて、お二人の解説で進行しました。

 被災した資料は、民俗、自然、動植物、伝統文化として分類し残していく。これらは陸前高田の文化の記録です。

 手法としては地味な人手に頼る作業が主な仕事になっている。海水、カビなどによる資料の汚れを落とす作業は試行錯誤で、未知の世界に直面しながらも工夫し克服している。進行状態は4割か5割程度の様子。今後もボランティアの人手に頼る地味な作業になる。一方で、3.11に大津波があったという記憶が薄れているという懸念があるようだ。

 講座は、作業の行われている横浜からの中間報告です。技術的なお話もあったけれど、ド素人の私にもよく理解できました。膨大な被災資料をデジタル化するだけでなく、現物の保存も将来に繋げる作業になるとして、きめ細く進められている様子に感心しました。

 おわりに、陸前高田は私の両親の出身地です。幼い頃から親しんできた陸前高田です。大津波の被害は悔しいとしかいいようがありません。同プロジェクトの成果は、復興への大きな勇気を与えてくれるものと想います。感謝申し上げます。
 
  

 * soon  陸前高田被災資料デジタル化プロジェクト 

 

 

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2013年1月 1日 (火)

復興を祈る

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碁石海岸「穴通磯

 穴通磯(あなとおしいそ)は、東日本大震災の大津波にも負けずに、そのままの力強い姿を魅せています大船渡市の末崎半島、『碁石海岸』を代表する景勝地です。一方、「碁石浜」は地盤沈下して散策できる状態ではなくなっています。碁石を敷き詰めたような妙なる浜の変わり様は、とても残念です。(平成24年10月17日撮影)

Dsc_0553_2  昨年、町内の研修会旅行に参加して、大津波の被災地を訪ねました。6月には宮古、山田、大槌、釜石、そして10月には大船渡、陸前高田を訪ねて犠牲者の慰霊をし、散華して供養してきました。(左は碁石浜にて読経)

 

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「陸前高田市役所」

奇跡の一本松保存へ寄付のため立ち寄りました。
小高い山間に建てられた仮設の庁舎周辺は
道路、駐車場が狭く混雑していました。


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ご支援ありがとうございます
復興に向け市民一丸となりがんばります!
陸前高田市

 

 

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2012年6月 5日 (火)

三陸大津波被災地研修

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 町内の敬老バス研修旅行です。32名が参加。ご夫婦も見うけられました。バスは、盛岡市生きがい事業の敬老バス を利用しました。大津波で犠牲になられた多くの方々の哀悼と鎮魂のため、現地で「般若心経」を読経します。

 盛岡を出発すると、さっそくT夫人から「般若心経(はんにゃしんぎょう)」と「散華(さんげ)」についての解説がありました。思いがけなく車中は仏教についての勉強会になっていました。ありがたい。

 *「般若心経」;仏教の根本思想を説いている。
 
*「散華」;仏教の教えを詠じながら、紙で作った蓮の花びらを散らす。

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 川井村の道の駅「やまびこ館」にて休憩。ここからは、宮古在住歴のあるC氏が、被災状況や地域について解説します。

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 新里村、閉伊川に架かる山田線の鉄橋。 一世を風びした演歌歌手&作曲家「鳥取春陽」は、新里村出身です。村に歌碑がありますが、最近捜せなくなったと聞いています。訪れる人もいなくなったのでしょう。春陽は、 notes「かごの鳥」 という唄を作曲しています。さびしい唄です。こういう歌は、今では流行らなくなりましたね。(* 参考; Weblio辞書

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 宮古に来たなら、“「魚菜市場」見ずして結構というなかれ。” 「スーパーで買っても、ちっとも美味しくない。」「ウニの塩づけがいい。」「ナメタが安いよ。」の声。

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 宮古湾は、とてもおだやか。漁船がたくさん集まって、いつも活気のある岸壁なんだそうですけど、1隻もいない。

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 皆で般若心経を読経した後、海へ 散華をしているところです。宮古市の犠牲者は、死者420人、行方不明107人。

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 どこの被災地でも、瓦礫は集められ分類されて、うず高く積み重ねられています。早く処理してあげたい。今年の夏も、ほこり、悪臭などが舞い込んで大変だろうと思う。

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 山田湾の「かき小屋」に、ちょうど12時に到着。かきは体内に毒を持っている時期なので、残念ながら食べられない。昼食は野菜、車えび、イカ、そして小さなホタテ貝の鉄板焼きになりました。 

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 ハーレーダビットソン、1800㏄を操って来店して来たライダーは、昭和16年生まれ。同年代のご夫人達の称賛を浴びていましたね。定年後、全国を疾風のごとく廻っているそうだ。ちなみにバイクお値段は480万円とか!
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かき小屋の店員達が、総出しての見送りです。また山田におでんせ~

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 山田湾の海に向かい、独り、祈りをささげています。母の愛は海よりも深い。・・・「岸壁の母」です。 山田町の犠牲者は、死者604人、行方不明者153人です。

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 大槌町では、河川の堤、堰、住居、生活、町の全てが破壊されました。死者803人、行方不明者479人が犠牲になりました。役場では職員の多くが亡くなりました。

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帰らぬ家族を待ちわびる大槌町。こいのぼり を目印に帰ってきて!
 

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 釜石駅前広場に設けられた「復興の鐘」です。右手に煙を吐いている工場は、新日鉄製作所。釜石市では死者、888人、行方不明者158人が犠牲になりました。

Dsc_0162_2 左は「駅前橋上市場サンフィシュ釜石」。名前にあるとおり橋上市場(きょうじょういちば)だった。つまり、橋の上に業者が店を構えて営業していた時代があったそうです。橋の架け替えのために、あらたに駅前に集合して店舗を開いたという。


 おわりに、駆け足で宮古、山田、大槌、釜石の被災地を訪ねた旅でした。恵みの海だったのに、海は牙をむいて人々を襲い、命までも奪い去りました。自然は美しくも、時には恐ろしい。自然と共存は永遠のテーマです。
犠牲者への鎮魂は、残された者たちが再起し、復興早く成し遂げられることにあるように思います。 合掌。

* 経路 *  公民館 8:00 ~ 川井村やまびこ館 ~ 宮古市魚菜市場・鍬ヶ崎 ~ 山田町復興かき小屋 ~ 大槌町 ~ 駅前橋上サンフィシュ釜石 ~ 遠野道の駅 ~ 公民館 17:30
 

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2011年12月26日 (月)

日曜講座

Dsc_0167  県立博物館 では、日曜講座 を開催しています。

 12/11;「クマゲラの巣穴を利用する鳥獣--クマゲラの繁殖活動が遅れたのはなぜか--
 藤井忠志さんは、25年間もの間、絶滅危惧種であるクマゲラの生態を研究されております。今回の研究成果に到る体験を、たくさんの映像と豊富な話題で解説していただきました。
 異常気象がもたらす天候の変動が植物、昆虫、そして鳥類などの繁殖活動に影響を与えていることは確かだ、ということは気になりますね。

Dsc_0172_2  12/25;「津波と”つっちぃ(ツチクジラ)”」--クジラ標本救出の前と後--
 大石雅之さんは、陸前高田市の被災した博物館の標本の救出、復元をしています。
地域を越えた共同作業にあたらしい発見があったようです。
 三陸を襲った貞観
(じょうがん)地震・津波(869)は、今回と同じ規模の震災であると分かっています。このときの犠牲者の霊を弔うために始まったのが、京都の祇園祭。祭りは盛大に行われていますが、防災教育は後世に伝わっていない。視野を広げた博物館活動が必要だ、と結んでいました。
<写真は同館「南部曲がり屋」の竈(かまど)と囲炉裏>

 参考図書;