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2015年5月20日 (水)

厨川駅の地下道

Dsc_2228

「コスモ盛岡」さんの壁画

 

 ファサード(建物の正面)右の壁面に描かれた絵画である。宇宙空間を泳いでいる夢を表現しているようだ。パチンコ屋さんならではの思い切ったサービスですなあ。通りすがりながら楽しませていただいた。みたけの厨川駅地下道近くにある。

1_6 ウォーキングの会、本日のコースは踏切を渡らず、厨川駅の正面に抜ける地下道に向かう。自転車置き場の隣が地下道への入り口。新幹線が上を通過する。

2_4
 私を含め会員の多くは、その地下道の存在を知らない。エレベーターで降りた人と合流して通路を歩く。


  * 後記 2013年1月7日より、7時~20時の間通行できるようになった。なお、完全に通行できるようになるのは地下道にエレベーターが整備された後となり、こちらは同年3月末の予定である。<「ウィキペディア」より抜粋>

 

3

    地下道から駅の横に出ると、再び自転車置き場が広がる。

 

5
  ちょうどホームに列車が入ってきた。いわて銀河鉄道、盛岡行き 11時49分発の列車である。

 2両編成の後部向こうに教会が見えている。地図を眺めてみると、教会は「いわて福音教会みたけチャペル」とある。住所がみたけ2丁目・・・だから、駅の向こう側は青山町の隣町“みたけ”で、戦時中「観武ケ原(みたけがはら」と呼ばれた陸軍練兵場があったところである。

Photo

「厨川駅」《 IGR岩手銀河鉄道の厨川駅 》

 

 

 大正7年(1918)11月1日開業 木造の駅舎は当時のまま。

 

 「厨川」; 北上川と雫石川に挟まった盛岡市西北部の広い地域を指す。盛岡駅周辺一帯も大正初期までは厨川村だった。昭和15年(1940)、盛岡市編入。
 康平(こうへい)5年(1062)、前九年の役で安倍一族滅亡の地。「厨川の柵」には諸説あって場所の特定は出来ていない。

 

  「厨川駅と宮澤賢治」;昭和6年(1931)6月、東北砕石工場の技師だった宮澤賢治は岩手種馬所(現在は東北農業研究センター/厨川駅向かい)に石灰肥料のセールスに来ている。厨川駅で汽車を待っている時に書いた詩が、詩集「春と修羅」の中に「厨川停車場」と題して載っている。

* 「アップル」2015年6月号 ㈱東北堂発行 からの抜粋。

 

  厨川停車場

(もうすっかり夕方ですね。)

 けむりはビール瓶のかけらなのに、

 それらは苹果酒サイダーでいっぱいだ。

(ぢゃ、さよなら。)

 砂利は北上山地製、

(あ、僕、車の中へマント忘れた。

 すっかりはなしこんでゐて。)

(あれは有名な社会主義者だよ。

  何回か東京で引っぱられた。)

 髪はきれいに分け、 まだはたち前なのに、

 三十にも見えるあの老けやうとネクタイの鼠縞。

 (えゝと、済みませんがね、

ぼろぼろの繻子のマント、

あの汽車へ忘れたんですが。)

(何ばん目の車です。)………

(二等の前の車だけぁな。)

Larix, Larix, Larix,

青い短い針を噴き、

夕陽はいまは空いっぱいのビール、

くわくこうは あっちでもこっちでも、

ぼろぼろになり 紐になって啼いてゐる。

 

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