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2014年9月 7日 (日)

「森ノ岡」、そして「盛岡山」はどうなったのか

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 九戸の乱(天正19年〈1591年〉)の後に、南部信直公は不来方城主の福士氏を遠ざけ跡地に城を移します。このとき、不来方という地名を忌嫌って、山岸の永福寺裏の小高い岡に倣い「森ノ岡」と命名、後に「森岡」、そして“盛り栄える岡”「盛岡」と改名したと言われています。  

 その後、明治維新後の神仏分離令、廃仏毀釈(仏教色、寺の権力を排除)により永福寺は廃寺になります(昭和17年に再興しているが、往時の面影はない)。後に永福寺の裏山は「盛岡山」と呼ばれていたが、開発業者(東京土地)が造成し桜ケ丘団地として販売しています。住宅地となった町名は「山岸三丁目」であり、「盛岡山」という名称は地図上から消えています。

 山岸三丁目の住人の話では、「盛岡山」を教えているものは何もない、町内会報が「森の岡」だよ、と話してくれた。松園若園線バスの停留所「桜ケ丘団地前」が、その入り口を教えているだけのようです。

 
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